ONLINE
当事者もくもく会
FOR 困ってる人

礼の当事者研究-人を数にしないために-

「ハイ、首チョンパw」ではなく
「介錯仕る、御免!」が大事

当会は満員御礼です。一時は存続の危機ばかり気にしていたので覚醒の感があります。喜ばしいことです。しかし、ちょっと悩みがあります。新規の参加希望者さんを断らなければならないことです。新規の参加募集は停止している旨は明記しているのですが、それでも、連絡をくれる方がいます。断るのですが、心苦しいです。

オンラインの会なのでメンバーを増やそうと思えば、際限なく増やすことは出来ます。ただ、会の雰囲気を保つことが出来ません。数が多すぎると人が処理の対象になってしまう。入れようと思えば、入れられる。でも、質を保つために入れないというのは良心が痛みます。

私は反貧困運動に関わったことがあります。そこで見たのは支援者が多くの人を救おうと思って、貧困者を数として扱ってしまう光景でした。生物としては生きていても、人間としては扱われていない。そんな風に私には見えました。

今日は当会のメンバーが主催している当事者研究会に参加してきました。人を救おうとする故に、人が数になってしまう。そうしないために、どこかで困ってる人の手を切らなければならない。そのことが私は心苦しい。そんな私のテーマを取り上げてもらい、みんなが研究してくれました。

会の中に私と同じく自助会を主催している方がいました。その方も同じような悩みがあるそうです。そして、曰く

「あなたが苦しいのは分かる。でも、私もあなたと同じように苦しい。そして、あなたを受け入れることで私は限界を迎え、壊れてしまう。今の私にあなたを救うことは出来ない。そう言ってごめんなさいと謝り、毅然として私は断る」

多分、謝るしかないのです。助けたい、いや、助けるべきだ。でも、出来ないのですから。出来ない理由を誠意を持って説明し、ごめんなさいと謝り断る。これだけしか出来ないのです。そして「すいません、ごめんなさい」と謝るのが私はとても大切だと思いました。

相手を数として扱うのではなく、人として扱うこと。私はそれが礼なのだと思います。礼とはコミュニケーションの作法ですが、その意味とは相手を尊重する気持ちを態度として表すことです。

「軽んじいるわけではない、あなたのことは人間だと思う。救いたいとも思う。しかし、今の私にはあなたを救うことは出来ない。本当にすまない」という罪の意識の表明と謝罪が、礼を尽くし、相手を数ではなく人として扱うことなのだと思いました。そして、この罪は、罪としてはあるけれど、悔恨が残るだけで、誰も裁くことは出来ない罪なのだと私は思います。今日はとても良い当事者研究が出来ました。